インターネットでアイデンティティーを検索するとオブジェクト指向にぶち当たる。でもその内容のほとんどがindexでありアイデンティティーではない。
そもそもアイデンティティーをオブジェクトにもてるはずないのに、さも持てるように書いてある。
私がコンピュータに触れた40年前にもアイデンティティーは存在していた。それは、データベース設計における概念設計で出てきた。
たしか、アイデンティティーは「帰属性」であると教わった。
たとえば、「山田太郎」さんに役場市民課のAさんと小学校PTA会長Bさんが連絡をとりたい。でも、「山田太郎」さんは世界に一人しかいないのに、AさんとBさんの「山田太郎」さんのアイデンティティーは違う。
要は、ゴッサムシティは世界に一つしかない一意な世界だが、バットマンが見るゴッサムシティとジョーカーから見るゴッサムシティは違う、それはゴッサムシティのアイデンティティーが違うからだ。
腕の良いデータベース設計者だったら、バットマンのゴッサムシティとジョーカーのゴッサムシティを違う町として構造化できるだろう。
どうも、見る人の「考え方、立場、価値観、アイデンティティーなど」によりアイデンティティーは違うと思う。(あっパラドックスだ)
近頃思うのだが、己のアイデンティティーを発見するのは大変だが、友達は簡単に自分のアイデンティティーを発見する。たとえば友達が自分のことを「あいつヘタレ野郎だよな!」と言っていることを私は知っている。
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