2019年10月16日水曜日

芥川龍之介作品集

青空文庫が芥川龍之介の作品をXHTMLでデータ化している。このデータのほとんどを自分のサーバーに読み込み表示できるようして見た。



芥川龍之介

2019年10月14日月曜日

芥川龍之介「女」


「Sam Smith」の「 I'm Not The Only One」のミュージックビデオが好きでYouTubeで
何度も見た。綺麗に着飾った女が、男を満面の笑みを浮かべ玄関の戸口から見送る。
女は男の車が見えなくなるまで微笑んで見送っている。だが、男を見送った後、女は
嗚咽して泣き崩れる。その頃男は別の女と楽しい時を過ごしている。そして、
男は家路につく。家に着くと玄関の扉が開き、女が満面の笑みを浮かべ男を
出迎える。
私は笑顔で男を出迎えるこの女の心情が分らない。女の笑顔は男の
資産や財産目的なのだろうか。もしそうであれば、男の居ない家で泣き崩れるのは
不可解だ。

浮気して帰宅した男を満面の笑みを浮かべ男を出迎える女の不思議に自分なりの
解釈を考察してみることにした。

男が女を選択するのは簡単だ。高望みせず自分に気にありそうな女なら基本的には
誰でも大丈夫だ。
だが、女が男を選択する理由は多岐に渡る。その証拠に女性向け恋愛小説、
漫画は無限に存在する。では、女が男を選択する基準を主観的に単純に列挙してみる。

  1. 資産家である。
  2.  ハンサムである。
  3.  スポーツマンである。
  4.  ミュージシャンである。
  5.  高学歴である。
  6.  芸術家である。

上記に示した内容は男の集合体なのでクラスと考えて良い。では、このクラスの親つまり集約を
考察すると「上質なDNA」というクラスが考えられる。(DNAはそもそもが継承だ。
でも女が大多数の男から一人を選択するということから集約とした方がつじつまが合う。)



(資産家はDNAと関係ないのかもしれないが、資産家の家柄及び資産を生み出す為の資質を生れな
がら持っていると考えるとDNAは無視できない。)

女が男を選択する最も重要なことが「上質なDNA」であることは、女が子供を生むという重要な役割
を持っていることから理解できる。自分の子供は「上質なDNA」で有ってほしいと望むことはだれ
でも理解できる母心だ。これはフロイトが言うところの女の自我(エゴ)なのだろう。だが、女の
自我をそのまま許したら男一人に複数の女というハーレムを構成することになり、ひいては近親相姦を招き自分達の絶滅につながりかねない。だから人間社会は女の自我を抑え込む為、
婚姻制度を確立し、「女の幸せは結婚」という超自我(スーパー・エゴ)を家庭や学校ひいては
社会全体で女に植え付けた。

このように女の自我は「上質なDNA」の獲得と考えると、
「Sam Smith」の「 I'm Not The Only One」のミュージックビデオで浮気して帰ってきた男を
笑顔で迎える女の心情が見えてくる。この女は「上質なDNA」を確保する手段として浮気を見て
見ぬふりをした。だが、同時に、この女が「上質なDNA」を確保した暁には、浮気男に手痛い
しっぺ返しが訪れることも想像できる。

芥川龍之介「女」は雌蜘蛛の話だ。私はこの文章を読んだとき雌蜘蛛に対する悪意しか伝わってこなかった。
この雌蜘蛛は「女」のことだと思うから、芥川龍之介は女(特定の女だと思うが?)に悪意を持っていたとしか思えない。
ではなぜ、芥川龍之介は女に悪意を抱いていたのだろう。この疑問を解く鍵は女の「上質なDNA」
を確保するという自我にある、と考察できる。

女は「上質なDNA」を確保する手段として愚かな「策」を講ずる。これはよく恋愛の駆け引きとして小説や映画などの題材になる。でもこの「策」は男の争奪戦でしかない。しかし、これは「女の幸せは結婚」という超自我が効いている女達の話だから楽観視できる話だ。
最悪なのは、この超自我が効いていない女だ。

芥川龍之介「女」が発表されてのが大正9年だが、当時、テレビ、ラジオ、ましてはインターネット
もない時代だ。この時代の情報はもっぱら書籍だっただろう。だから小説家の芥川龍之介は
「上質なDNA」に分類される有名人だったから女達の憧れの的だっただろう。
そんな女達のなかに「女の幸せは結婚」という超自我が効いていない女が居ても不思議ではない。こんな女は「上質なDNA」を確保する為だったらありとあらゆる手段(悪い言い方で色仕掛け)
で芥川龍之介に迫ったと思われる。そして、「上質なDNA」でありかつ繊細な心を持つ
芥川龍之介は女のその行為を愛情と勘違いした。しかし、女は「上質なDNA」の確保という
目的を果たしすと、何も言わず乳飲み子と共に芥川龍之介前から消えた。この時の女に
裏切られた心情を綴ったものが「女」だと思った。

これは芥川龍之介「女」を読んだとき私の脳裡に浮かんだ内容だ。
もし芥川龍之介が「上質でないDNA」の男達のように寛大に女と付き合うことができたら
「女」という小説は別物になっていただろう。なお、この芥川龍之介「女」の感想は
「上質でないDNA」の代表格である私の芥川龍之介に対する嫉妬である。
(女にモテたいな。くそっ!)

2019年9月17日火曜日

蜜柑

私は芥川龍之介の「蜜柑」が大好きだ。この文章はほんの数分で読めるから、何か文章を読みたくなった時よく読む。この文章を読み終えると安堵感と心地良さを感じるけど、なぜか同時に悲しみもこみ上がり目頭が熱くなる。私は長年、この文章を読むとなぜ悲しみを感じるのか不思議でならなかった。



連続爆弾魔「ユナボマー」と若きFBIプロファイラーを描いたNetflixオリジナル作品(ドラマ)「マンハント」を一気見した。最高に面白かった。このドラマを見て自分の脳裏に焼き付いたことがある。それは主人公と比較言語学者が交わした「スラブ人の国」の話だった。

スラブ人は同じ言語を語る人々で欧州の各地にいた。でもこのスラブ人がどこから来たのかだれも知らなかった。しかし、その秘密は彼らが喋る言語に隠されていた。彼らが喋る言語で「木」に関する単語だけが、スラブ人が今住んでいる場所特有の単語になっていた。7世紀頃、言語学者は無数に存在する「木」の単語から、スラブ人の言語には元々「木」という単語が存在しないことを推測した。そして、ウクライナのプリピチャの湿地帯には木が存在しなことから「スラブ人の国」はこの地である、と見いだした。この話を聞いた若きFBIプロファイラーは、「ユナボマー」から送られてきた膨大な量の犯行声明の文章から存在しない何かを探だすことを試みる。私は、この文章から存在しないものを探すという発想が新鮮だった。

「マンハント」を見た私は若きFBIプロファイラーのように芥川龍之介の「蜜柑」という文章に隠された悲しみの源を探し出す試みを行う。まず「蜜柑」を読み通常の小説には存在しているのに、「蜜柑」に存在しないものを列挙してみる。

1. 登場人物の名前
2. 登場人物のアイデンティティ
3. 会話
4. 物語
5. 登場人物のその後

このことから「蜜柑」という小説は、写実的な文章と感情描写のみで構成されていると言える。そして、登場人物の情報がないことから、小説の主人公が人間でないことも分る。この文章は大正時代の横須賀あたりを走る汽車の中の出来事だ。つまりこの小説が発表された1919年という年のある日ある時間の横須賀あたりをタイムスライスしたときの断面を描写した小説が「蜜柑」と言える。アニメションプログラムのコードを書くのが好きな私はこのことから「蜜柑」は「レギオン」のプロローグで語られた過去と未来予測から導き出される「今」を示す文章だと思った。

「ホームランド」でキャリーがCIAの秘密を知るきっかけとなったのは、イスラムの穏健派指導者がある時を境に過激的思考になった時期をタイムラインを利用し割り出したことにあった。私もこのタイムラインを利用し「蜜柑」に隠された「今」の解明を試みる。まず手始めに1919年を「今」と仮定し日本の過去と未来を戦争という悲劇的な出来事で可視化してみる。


戦争の悲劇度は戦死者の数だ。だから、1919年を「今」とした場合、日清、日露戦争が過去で太平洋戦争が未来になる。上記可視化データは日清、日露、太平洋戦争の戦死者数をベジェ曲線(A~E)でつないだものだ。このベジェ曲線から太平洋戦争は日本という国が経験する最大の悲劇だったことが一目でわかる。そして、このベジェ曲線に、「蜜柑」で描写された「小娘」とその「弟達」のタイムラインを重ね合してみた。この「小娘」とその「弟達」のタイムラインから

・「小娘」は東京大空襲を切り抜けただろうか。
・「弟達」はお国の為に戦死しなかっただろうか。

と私は「小娘」と「弟達」が悲劇に遭遇していないか気がかりになってしょうがない。これは、1919年の百年後2019年を生き、太平洋戦争を過去として知る私だから感じる事なのだろう。でもなぜか「蜜柑」を読むたびこの悲しに近い感情が湧き上がってくる。もしかすると「蜜柑」という文章には、私に悲しみを感じさせる何かが隠されているとしか思えない。

1919年は日露戦争勝利から十数年しか経過していない。そんな状況から当時日本は自信に満ち溢れていたと思う。だから当時の自信みなぎる人々が描く日本像が帝国主義だったことは容易に推測できる。そんな「今」だから、帝国主義に異を唱えるものには暴力という制裁が下される近未来が訪れるは当然の結果だ。

自由に文章を書くことが出来なくなった、芥川龍之介は「将来に対する唯ぼんやりした不安」を感じていた。古書を読破した芥川龍之介にとって帝国主義の末路は分っていた。でも、その「不安」を具体的に文章にすることが許されない時代だ。物書きが文章を書けない苦痛を私は分らないが、書きたくても書けないことはストレスを生み、そのストレスが精神を蝕んだことは想像できる。だからこの「蜜柑」で言いたかったことは反戦、反武力、反帝国主義だったと思う。つまり、帝国主義ではこんな純粋な心を持った「小娘」「弟達」を不幸にする、と訴えたかったのでは思う。

私はこの「蜜柑」を読むたびに「朗ほがらかな心もちが湧き上つて来る」、と同時に現実感がない話だと思う。十数歳の「小娘」であっても走る汽車の窓を開けると他の人に迷惑が掛かることは理解できるはずだ。それに、走る汽車から物を投げ渡す行為を「小娘」ごときにできるはずないから発想すらしなかったはずだ。だから、私は「蜜柑」で描かれていることは芥川龍之介の空想もしくは遠い昔の記憶だと思う。

私は「ギレルモ・デル・トロ」監督の「パンズ・ラビリンス」が好きだ。この映画は現実逃避から自分の作り出した空想の世界に逃げ込む「少女」の話だ。私は映画を何度も見ているから結末は分っているが、見終わった後かならず涙を流す。己の死により空想の世界を完成させるなんて、統合失調症の幻覚がなせるわざとしか思えない。でも現実社会が暴力で解決するような社会であれば、ちょっと感受性が豊であれば統合失調症を発症するのは当然だ。

「パンズ・ラビリンス」の「少女」と芥川龍之介に共通性を感じる。そして、私が「蜜柑」を読む度に感じる「悲しみ」は自分の命を空想に捧げた「パンズ・ラビリンス」の「少女」と未来に絶望を感じた芥川龍之介が重なり、この二人を助け出すことができない歯がゆさから来ているのだと思う。



「大草原の小さな家」でローラのお父さんが「人生は毎日の積み重ね、でもその一日が不安だったら、不安だけの人生になる」と言っていたが、芥川龍之介も未来をほんの少しポジティブに考えていたら死ぬことはなかっただろうと思う。

2019年4月24日水曜日

やっと出来た




three.jsにおいて、png形式で不透過を使用したtextureが重なりあうと不透過部分に不都合が生じる事象をここ数年悩んでいたが、alphMapを使用することでこの不都合が解消された。

「じゃっ最初からalphMapを使用すればよかったじゃないか」という声が聞こえてきそうだが、じつはBlenderでこのalphMapを使用することができず、alphMapを作っても確認できないという悲しい現実がありました。
で、最近やっとBlenderの操作方法がわかり、alphMapを作れるようになりました。
なお、この操作方法がわからかった理由はBlenderのガイドに惑わされていたからです。

「Blender 2.6 ガイド&応用3DCG制作」#海川メノウ 著( #株式会社カットシステム )\4,200円に苦情を伝えたい。17.2.2髪でp556にtexture(カラー)に「RGB to Intensity」を有効するとあるがこれは間違いじゃないか?「RGB to Intensity」を有効するのはtexture(透過)側だ。この指定でこのモデリングが完成した。

完成品

2019年4月17日水曜日

生まれ変わり





Pet Sematary

家の飼い猫のハンクロが死んだ日、静かだった。

眠れぬ年老いた母が夜中になんども起き「眠れん」とつぶやく声を何度も聞いた。

翌日庭先の田の神様の石の前にハンクロを埋めたが、

ハンクロの死ぬ間際のまなざしが脳裡こびりつき離れなかった。

そして、そのまなざしを持つ何者かと将来出会う予感がした。

・・・

「ハンクロ」の生まれ変わりに会いたい。

2019年2月2日土曜日

素晴らしい


このコードに「Awesome!」というコメントが来た。

やったね!

2019年1月31日木曜日

私はアマゾンの回し物ではない。



私はアマゾンの回し物ではない。また、アマゾンの売り上げに協力しているわけじゃない。

BoxManで検索したらこのキャラクターと出会っただけだ。

それに、なんとなく愛嬌があったらから使っただけだ。


19/02/02 : このコードに「Awesome!」というコメントが来た。

やったね!

ほら俺はアマゾンの回し物じゃないだろう。