2017年12月25日月曜日

SLEEPY HOLLOW



遠い昔、まだ金曜日の夜のテレビがプロレスとディズニーランドが隔週だったころ、

ディズニーアニメで首無し騎士を見た。

そして、俺は、未だに首無し騎士の悪夢を見る。

あの笑い声(首がないのに)が未だに脳裡の奥底で不気味に響いている。

2017年12月4日月曜日

潜在意識がAI

丸谷才一氏の散文にこんなものがあった。

彼はある本を読み感動した。
この感動を息子に伝えたく、本と感動した内容を話した。
すると息子が、怪訝そうな顔して、
「親父その話10年前にも聞いたよ」と言われたそうだ。

私は、本に感動する脳と10年前に聞いたと覚えている脳は別物であると考える。

つまり息子は記憶力が良いだけの話である。

持論だが、記憶力の良し悪しは遺伝に左右されるが、何かに感動するというのは、人に平等に与えられた能力だと思う。

では、なぜ人は感動するのだろう。

それは、潜在意識のなせれる技だと思う。

「メンタリスト」のパトリックジェーンが言うには、人の記憶(潜在意識)はなんらかの五感とリンクしているそうだ。

私はこの考えに賛同できる。

人が何かに感動するのは、視覚、聴覚、触覚などで、遠い昔に経験または記憶し、潜在意識に刻み込まれたものが、呼び出された事象だと思う。

だから、何かに感動するということは、人それぞれ千差万別である。

この人が感動をするということ、職人が普通の人にはできない事を、いとも簡単にできることは深い関係があると思う。

アメリカの証券取引所で働く人々は、ただ、人から言われたことしか出来ない人達ではない。

彼らは、証券取引所で働く沢山の同僚たちを観察し、目線、体の動きから、今買うべき商品を五感で感じ対応するそうだ。

これも、潜在意識に何年もかけて覚えこませたからできる技だと思う。

現代の証券取引はAIで行われていると聞くが、私は、このAIが人の潜在意識を超えた存在であるとは到底思えない。

でも、AIが人の潜在意識に近づくことは可能だと考える。

My Music

音量にご注意!


2017年12月3日日曜日

Down To The Bone - Brooklyn Heights


iTunes のSmooth Jazzストリーミングを毎日聞いている。そんな中、気になるSmooth Jazzが流れると曲名をメモしSOUNDCLOUDサイトを検索する。
「Down To The Bone - Brooklyn Heights」はそんなお気に入りの曲だ。

2017年10月16日月曜日

シューテングゲーム



シューテングゲームです。

タンクゲーム



タンクゲーム

テトリス



おなじみのテトリスです。

2017年10月13日金曜日

succubus


glTF2.0形式をthree.jsで描写

https://sketchfab.com/models/8c0746e3d1304ed283a3bb4772a8d2cc

2017年10月2日月曜日

Head Swing FELIX


見てるこっちが首痛くなるよ!

2017年9月30日土曜日

付かず離れず


付かず離れず、蝶達は楽しいそうだ。

凩や


凩や鐘引きすてし道の端 正岡子規

私は音文がわからない。音楽は好きだが、歌詞はよくわからない。
特に俳句は、全然わからない。
良い俳句は読んだだけで情景が想像できると聞くが、私は俳句から美しい情景を想像した経験は皆無だ。

でも、正岡子規の俳句「凩や鐘引きすてし道の端」は好きだ。
この俳句は正岡子規の散文集?で読んだとき知ったような遠い記憶しかない。
この遠い記憶から、なぜ、この俳句が好きなのか話そう。

「凩や鐘引きすてし道の端」を読んだとき、まず、情景より先に鐘の音が聞こえる。
そして、四畳半の床の中で横になっている正岡子規のつぶやきが聞こえてくる。

「山寺の鐘の音はどうして悲しい音なんだろうね」
「山寺の鐘は遠い昔、山寺より遥か彼方で作られ、長い期間をかけて山寺に運ばれただろう。
でも、運ばれる最中の夜は「道の端」の暗闇に引きすてされ、寂しく悲しい思いを幾晩も味わったはずだ。
そんな山寺の鐘だから、道の端に置き去りにされた夜のことを思い出して、寂しく悲しい音を響かせるのだろうね。」

私は「凩や鐘引きすてし道の端」を読むたびに、物語を想像し、山寺の鐘の音を感じる。

2017年9月17日日曜日

UNITY Game1

ゾンビを殺せ

https://hankuro.sakura.ne.jp/WebGL11/



アイデンティティーはindexじゃない

インターネットでアイデンティティーを検索するとオブジェクト指向にぶち当たる。でもその内容のほとんどがindexでありアイデンティティーではない。 そもそもアイデンティティーをオブジェクトにもてるはずないのに、さも持てるように書いてある。 

私がコンピュータに触れた40年前にもアイデンティティーは存在していた。それは、データベース設計における概念設計で出てきた。 たしか、アイデンティティーは「帰属性」であると教わった。 たとえば、「山田太郎」さんに役場市民課のAさんと小学校PTA会長Bさんが連絡をとりたい。でも、「山田太郎」さんは世界に一人しかいないのに、AさんとBさんの「山田太郎」さんのアイデンティティーは違う。


 要は、ゴッサムシティは世界に一つしかない一意な世界だが、バットマンが見るゴッサムシティとジョーカーから見るゴッサムシティは違う、それはゴッサムシティのアイデンティティーが違うからだ。 腕の良いデータベース設計者だったら、バットマンのゴッサムシティとジョーカーのゴッサムシティを違う町として構造化できるだろう。 どうも、見る人の「考え方、立場、価値観、アイデンティティーなど」によりアイデンティティーは違うと思う。(あっパラドックスだ) 

近頃思うのだが、己のアイデンティティーを発見するのは大変だが、友達は簡単に自分のアイデンティティーを発見する。たとえば友達が自分のことを「あいつヘタレ野郎だよな!」と言っていることを私は知っている。

2017年9月15日金曜日

日本には投資家がいない。

アップルのスティーブジョブズは嫌いだが、ピクサーのスティーブジョブズは好きだ。

ピクサーのスティーブジョブズはアップルのスティーブジョブズとは違い、ピクサーのデザイナーに、口は出さず、お金は出した。

そして完成したCGアニメションが「トイ・ストリー」だった。このアニメションは世界的にヒットし、CGアニメションがビジネスになることをディズニーに、いや、世界にしめした。

そして、ピクサーをディズニーに売却し、ディズニーの重役になった。(でも、スティーブジョブズは、元々、ピクサーをディズニーに売るつもりで、ピクサーを買ったそうだ。)

ピクサーのスティーブジョブズは投資家としても最高だ。なぜなら、自分が投資した額の何百倍の利益を得られると分っていたからだ。

日本にはピクサーのスティーブジョブズのような投資家は現れないだろう。なぜなら、日本は資本主義国として踏まっているが、実態は資本主義国でないからだ。

その証拠は'80年代のバブルを見ればわかる。日本人は将来を見据えて投資するなんて思考がないことをバブルが証明したのだから!